私がライフワークを選んだ経緯(中編)

中編 戸惑い

これは中編です。前篇を読んでいない方はそちらからお願いします。

挫折

病気のせいなのか自分がただ甘いのかアルバイトを長続きできない状態が続いていた中で一回だけ就職した事があります。それが自分の性格を変えた一因だったのかもしれないです

それが某携帯ショップの店員でした。

その頃は家にいることも多く只々携帯を触って過ごす日々でした。

私が散歩がてらコンビニ行こうと歩いていると後ろから聞き覚えのある声が聞こえます。

「あーYちゃんいいところにいたわ、携帯教えてくれる?孫にめーる?送りたいのよ」

(私の名前はYにします)

「あーおばあちゃんいいですよ」と散歩中の僕に話しかけて来たのは近所に住むBさんです。

「ありがとね、こんなに簡単だったの?」

「ようお前暇そうだな、この携帯のカメラ?っていうのを教えてくれや」

「あーCさん所のおじいちゃん写真撮ってお孫さんに送るんですか?」

「そうだよ、うるせぇな。お前さんは黙って教えればいいんだよ」

「私ね、今めーる?の送信の仕方教えてもらったのよ。なんだったら私が教えてあげましょうか?}

「なんだよ得意げに、Bはだまってろってんだ」

「まぁまぁ、ケンカしないで教えますよ(笑)」

そんなやり取りの中で私はふと思います。こんなに携帯に困っている人がいるんだったら携帯のショップ店員になればもっと助けてあげられるんじゃないかと漠然と思いました。

早速家に帰り求人サイトを見てみると1件携帯ショップの店員の求人を発見。たまたま職を探している時期だったので早速応募、面接を無事通過して見事そこで働くことができました。

楽しい日々が続く中、私のおごりもあったのかもしれませんある事件を引き起こしてしまいます。

この事件の詳細はここでは書けませんが、私の心が”ポキッ”と折れたと書けば多くの人が察してくれるんじゃないかと思います。勿論こんな大ごとですので退職を持ち掛けられ、私は渋々承諾し目の前が真っ暗になりながら帰宅。

また引きこもりの日々に逆戻りしていました。

そんなある日、父が帰ってくると連絡が入ります。

こんな状態を父が見たらまた”しかられる”只々恐怖が襲ってきます。

しかし母から驚くべきことを言われます。

「お父さんねあっちで心の病気になっちゃったんだって、だからお父さんには優しくしてあげてね」

そんなまさか喧嘩して離れてたおやじが病気?俺を殴ったんだぞあんなに”しかっていた”おやじだぞ

そんなわけあるかよと心の中で葛藤がしばらく続いていました。

帰ってくる当日空港で家族全員で待っていると、眼の光がなくやや細くなったおやじがそこに立っていました。あれ?あんなに小さかったっけ?と思うと同時に精神の病気の恐ろしさを実感しました。

「ようおやじ、久しぶりだな」

今でも覚えています。声がうわずっていました。

「あー」と恥ずかしそうに一言。

まっ、父親との久しぶりの会話なんてこんなもんでしょう。元々話したりしてこなかったしこっちからずけずけ行くのもおかしな話だなと心の中で言い聞かせ苦笑いしていると一緒に行っていた母や弟がこっちを見て”ほっ”とした顔とともに声を出して笑っていました。

そこから父と共に闘病の生活が始まります。

A型事業所

そんなある日病院の先生に

「Yさんね、A型の事業所という選択もあるよ。色々手続きがあるけど僕たちが教えるからね」

こんな選択肢があるんだと感動したのは今でも覚えています。その後ソーシャルワーカーさんに色々手続きの方法を聞き、区役所に行き手続きをしてハローワークで求人を見て一つの求人が目につきました。

それが人生で長く働くことになる職場になるなんて思っていませんでした。

そこはデータの入力や紙の封入・封かんがメインのいわゆる事務職特化の場所で典型的なA型の事業所です。このままこの生活が続いていくのかなと思っていた6年目の今年の3月に事業所の代表から働いている皆が呼ばれます。

「今年の5月いっぱいでここの事業所を閉所することを決めました。皆さん申し訳ございません」と代表の言葉。”えっ”と目の前が真っ暗になり、何気にこの生活が気に入っていたのかもと実感しました。

そこからまた求人を探すためにハローワークに行く生活にまた戻ってしまいます。

いやぁ 長々と失礼しました。

このような形式にしてしまったので全部で3つに分けて掲載したいと思っています。

次が最後の予定になっています。

ここまで見て少しでも気持ちが軽くなってくれたら幸いです。